自由都市レダ。各地から商人が集まるというだけあって、街の活気は独特のもののように感じられた。
露店も、アルファンに展開していたような吹きさらしのものでなく、等間隔に建てられた屋根だけの建物の下で営んでいる。
「サリアの品物は、全て一度はここを通るといっても過言ではない」
ここへ来る道中での、セレストの言葉を思い出した。
時間の許す限り街を見学して回り、宿をとった。
夕食をとる為に、部屋を出て一階におりる。
喧噪の中での食事は、相変わらず好ましいものではなかったけれど、立ちこめる香ばしい香りに負けてしまった。
それにしても、建物のつくりと集う人びとの雰囲気が同じなら、そこにいる人の行動も同じなのかしら。
セレストは、やっぱり壁際の細長いテーブルを選んだ。
「ご注文は?」
体躯のいいおじさんが、テーブルごしに声をかけてきた。
「エールをもらおう」
「あ、私も」
セレストが振り向く。
「飲むのか?」
「赤いお酒なら、飲んだ事があるわ。大丈夫でしょう?」
職業柄なのか、セレストも、食事中は無口だった。淡々とお皿をあけては、お酒も減らしていく。
食事をするにも気分が乗らず、喉ごしのいい酒ばかりが進んでしまう。
「飲んでばかりだと、明日がつらいぞ?」
「大丈夫よ」
とは言うものの、頭がぼうっとしてきた。
野菜を取り分けるセレストの手に、幼い頃にお父さんの城で見た食事の光景が重なる。
「あなたは、兄弟いるの?」
とくに話題もなかったので、尋ねてみる。
「弟と妹がいる。もう三年は見ていないから、大きくなっているだろうなあ」
青い瞳が、私の知らない世界に向けられる。
“勇者”でも“魔王の子”でもない彼は、どんなふうに育ってきたんだろう。
自分を生んだ母親がつくったご飯を食べ、同年代の子供たちと共に大きくなっていく。そんな、人間にとって当たり前のことを、私は知らない。
これは、嫉妬だろうか。
いや、そんな筈はない。私は、選ばれし“魔王の娘”なのだから。
気を紛らわせたくて、一気に酒を呷った。
ジョッキを勢いよくテーブルに置く。
「私はね、自分の出生も、世界のことも、どうでもよかったのよ」
「ミ、ミーア?」
「お父さんがいけないのよ! あんな魔術師の言いなりになるから!」
「魔術師? ……高額の教材でも売りつけられたのか?」
「教材ってなに?」
「さあ?」
微妙な沈黙が流れる。
私の重力は、緩慢に回転し続けていた。
「兄さんも兄さんだわ! 私より、仕事が大事だなんて。私の将来なんて、どうでもいいんだわ! 兄さんのバカぁ〜!」
机に突っ伏して泣く。
もっと勢いが欲しくなって、ジョッキに手をのばした。なによ、もう空っぽじゃない。
「おじさん、おかわり!」
「お嬢さん。もう、その位にしといた方が……」
「黙れ! この私に意見す…… ん〜! ん〜!!」
セレストが、私の口を塞いだ。ちょっと! 気安く触らないでよ!
「やれやれ。とんでもない酒だな。すみません、マスター」
「気にしなさんな。大変な仕事でも受けたのかい?」
「……そうかもしれませんね」
やっとの事でセレストの手をはがし、思いっきり噛んでやろうかと思ったけれど、頭の端の僅かな理性が押しとどめた。
「この代償は大きいわよ」
「いかようにも」
溜め息をついたセレストから、水の入ったコップを乱暴に受け取って、一気に飲み干した。
肩で息をして、青い瞳を睨む。
「で、何の話だったかしら?」
「……何だったかな」
酔っているという自覚はあった。思考回路に波があって、こうやって時々戻ってくる。それでも、やっぱり次の瞬間には、また景色が揺らいだ。
……明るい。
宿の部屋の、布団の上だった。
自分の足で部屋に戻ったのかどうかも、覚えていなかった。
頭が痛い。身体もだるくて、寝返りをうつのも一苦労。一体何なのかしら。
「ミーア!」
セレストの声が、頭の中に反響して、それが鈍痛を促す。
頭から布団をかぶって、声の衝撃に備えた。
「もう起きないと、今日中に発てなくなるぞ」
「ん〜……頭痛い」
盛大な溜め息が聞こえた。
「あんなに飲むからだ」
だって、止まらなかったんだもん。
たくさん喋ったという記憶はあったけれど、喋った内容は全く覚えていなかった。
布団から、顔だけ出す。
「……ねえ。昨日、私、変なこと言ってなかった?」
魔王とか、勇者とか。
「何だったかな。父さんが詐欺に遭って、兄さんが仕事で出て行ったんじゃなかったか?」
「……そんなこと言ってた?」
セレストもある程度は飲んでいたんだから、あてにはならないわね。
でも、私ってば、そんな訳のわからない事を喋っていたのかしら。
「仕方ないな。保存食と減ったものは、僕が買ってくるよ。出発は、明日に延期だな」
それは助かるわ。
もう一眠りしようと心に決め、大きなあくびでセレストを見送った。
自由都市レダを出て、まっすぐ北上し、目的地へと連なる森に踏み込んだ。
晴天の昼間である筈なのに、薄暗く、空気は湿っていて重い。
窪地には極彩色のカビが生えているし、低い木の枝からは、ねじ曲がった棘を持った蔦が垂れ下がっている。
さすがに、人の顔のような模様の葉っぱや、真っ赤な袋を持つ食虫植物は、手に取って調べる気にもなれなかった。
「……本当に、この森の奥なの?」
「間違いないよ」
セレストは、無気味な植物をいっこうに気にしていないようだった。
うっそうと繁る草をかき分け、まっすぐに進んでいく。
不思議なことに、一番ひどかったのは森の入り口だけで、進んでいくにつれて、気持ち悪い植物を見かけなくなった。暗さと湿った空気は同じだったけれど。
突然、景色が変わった。
森であることに変わりはなかったけれど、薄暗く、常に圧迫感のあった森は、そこで途切れていた。
針葉樹に似た無気味な木々のかわりに、明るい緑の葉を豊かに蓄えた大樫が、整然と立ち並んでいた。
葉の間からさす木漏れ日が、柔らかそうな下草に届く。風で木の葉が揺れるたびに、いくつもの光の線が揺らめき、草を撫でていく。
大樫の間を、かろうじて踏み分けられたと分かる道をたどりながら、縫うように歩いていく。
「外側の森は、人目を欺くためのものだろうか」
セレストも、同じ事を考えていた。
「立派な森ね」
「珍しい動物にでも出会ったら、追いかけていって、森から永遠に出られなくなってしまいそうだな」
冗談だとは分かっていたけれど、一応、精霊の姿を確認する。
「精霊たちに異常はないわ」
もう、隠す必要もない。
「もっとも、お望みなら、迷える森にしてあげるわよ」
「遠慮しておこう」
セレストは苦笑して、木の葉の間から射す光に、青い瞳を眇めた。
色素の薄い彼の瞳は、陽光に弱い。かといって、夜目がきく訳でもないのだけれど。
目的地に向かって歩いているつもりでも、いつの間にか散策になってしまう。見た事もない植物を発見しては首をひねり、鳥のさえずりを聞いては、鳥の種類を言い当てあった。
「本当にちゃんと進んでるんでしょうね? 同じ所をぐるぐる回ったりしてないわよね?」
あまりにも和んだ空気に、さすがに不安になってしまう。
「あっている筈だ」
淡白に告げたセレストに、疑いの眼差しを向ける。
「……?」
セレストの肩ごしの木々の向こうに、小さな光が見えた。
「今、何か光ったわ」
「……湖面だ!」
顔を見合わせて、セレストが頷くのを見る。
「罠かもしれないわ」
「見事に策にはまってしまった訳だな」
冗談を飛ばすものの、どんどん早足になっていく。しまいには、駆け出していた。