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§緑陰の柩:第4章§

儚きもの (3)

著:真柴 悠

◇◆◇

 意識を取り戻してから、八日経った。
 お婆さんの家事を手伝うのが日課になり、昼間には畑仕事も手伝った。
 ふとした拍子に兄さんと過ごした時のことが頭をよぎる。余計なことを考えなくてもいいように、手伝いに没頭した。

 昼下がりのひととき。休憩に戻ってきたお爺さんとお茶を飲んで、他愛のない話をする。
 この老夫婦には、子供がいないらしかった。だからきっと、殊更に私を可愛がってくれるのだろう。
 そう思うと、時には鬱陶しいと思える好意も無下にはできなかった。
「今日はウサギを狙ってみるか」
「そんなに都合よく現れてくれるかしら?」
「これでも昔は“疾風の射手”と呼ばれておったんじゃ。ワシに射抜けんものはない!」
 それって、ウサギとは関係ないんじゃ……この前の異名は“アルファンの猛禽”だったし。
「頑張ってね」
「おう! しっかり鍋をあっためておいてくれ!」
 お爺さんが狩に出かけたのを見送って、家に入る。
「じゃあ、お掃除しましょうか」
 お婆さんが、雑巾とバケツを裏口から持って入ってきた。
 床のゴミをほうきで掃いて、雑巾をかける。
 兄さんと暮らしていた時には知らなかった、様々な生活の知恵があることに驚いた。
 中でも、料理は楽しかった。肉のさばき方の他にも、野菜の種類によって保存の方法が異なることや、それぞれの食材に応じたたくさんの調理法も教わった。
 さすがに、裁縫には苦戦したけれど……。
「あなたのお陰で、随分楽になったわ」
 嘘よ。何も知らない私に教えなきゃならないし、覚えたてなんだから、そんなに上手でもないわ。
「一人で出来るようになれるかしら」
「もちろんよ。私が保証するわ」
 お婆さんの笑顔は優しかった。
「さあ、これを片付けたら終わ……」
「おばあ、さん?」
 突然、お婆さんが血泡を吹いて倒れた。
「!」
 声にならない悲鳴を上げる。
 倒れたお婆さんの背中には、短剣が深々と突き刺さっていた。
 突っ立って硬直したまま、お婆さんを見る。
 息をしていなかった。
「まだ、いたのか」
 無防備に開け放ったままの玄関に、誰かが立っていた。
 人ではない。久々に聞いたその言葉は、妖魔のものだった。
「娘、悪く思うな」
 浅黒い肌に長い耳を持った妖魔が、剣を抜く。
 かつての馴染んだ姿に、少しだけ冷静さを取り戻した。
「無礼者!」
 乾いた喉から、声を絞り出す。
「我を魔王の娘と知っての狼藉か!」
 妖魔が顔色を変えた。
「魔王の娘? まさか……ミーア様!?」
 妖魔は慌てて剣を引っ込めた。
 嫌な予感がした。
 すっかり毒気の抜けてしまった妖魔に詰め寄る。
「あなた、一人なの?」
「いえ。仲間が四人いますが」
 それを聞いて、家を飛び出した。
 平和な村が、蹂躙されていく。数少ない村びとを、たった数匹の妖魔が容赦なく仕留めていく。
 降り積もった雪のあちこちに、真紅の花が広がる。
 ダークエルフが、逃げ惑う最後の一人と思われる人間を細身の剣で刺す。恐怖とも痛みともつかない悲鳴を上げて絶命した人間から、無造作に剣を引き抜いた。
「皆! ミーア様だ」
 後ろから追ってきた妖魔が、そう呼ばわった。
 皆驚いた顔をしたけれど、理由を問うものはなかった。
 できるだけ、冷静を装う。
「無抵抗の者を手当り次第に殺すなんて、あなたたちらしくもない」
「まさか。我々は目的があって、この地を探したんですよ。人間が村を作っているとは知らなかった」
「目的?」
 即座に思い当たった。遺跡の鍵だわ。
「それだけの為に、殺したの?」
 太陽が消えてなくなったような寒さと闇に囚われる。
 声が震えた。
「彼らは何も知らないのよ!?」
 ダークエルフが振り返る。
「貴女は人間だ。我々の流儀を押し付けるつもりはない」
「禍根は断たねば。関わった人間の全てに恨まれていては、仕事になりません」
 妖魔の中には、人間である私を疎ましく思っているものがいることも知っている。
「命令する気はないわ」
 今の私は、ただの部外者。偶然、居合わせただけですもの。
 私がいなくても、同じ結果だった。
「では、失礼致します」
 形だけ慇懃な礼をして、妖魔たちは村に散っていった。
 低い木が整然と並ぶ畑の脇に倒れている人を見て、胸が凍った。休憩を終えて出て行ったばかりの、お爺さんだった。
 秘宝の在り処を明かすことが出来ていたら、村びとは助かったのかしら。
 建物を物色する妖魔たちの姿を、空虚な気持ちで眺めていた。
「……きっと、去り際にでも殺されたでしょうね」
 吹き抜ける微かな風は、細い刃のように鋭い。温かければ、目の前の現実に耐えられずに気を失っていたかもしれない。けれど、凍えた空気は全神経を刺激して、全ての出来事を脳裏に焼き付けた。
 冷たくなった肌を匿う術もなく、立ち尽くす。
 静かに雪が降りはじめた。空は青い。
 フラウが舞う。妖魔たちを襲う気はないようで、相変わらず宙を舞い、雪を降らせ続ける。
 高い場所を舞う雪の娘には攻撃の手も届かず、妖魔たちは、時折恨めしそうに彼女たちを睨んでいた。

 すぐに終わるだろうと思っていた財宝の捜索は、難航しているようだった。
 彼らの目をもってしても探すのが困難だなんて、村の人たちが知らなくても無理はない。
 忘れていた寒さを急に感じて、身を竦めた。
 その時、村の外から何ものかの気配が近付いてくるのが分かった。
「この村だな」
「随分奥に住んでるんだなあ。もう夕方だよ」
「暗くなる前に着いて、よかったじゃない」
 人間の声。村の入り口を振り返ると、複数の人間たちの姿が見えた。旅の装束に簡単な武装。この村の人じゃない。
 咄嗟にそちらへ走り出していた。
 私に気付いた人間たちが立ち止まる。
「やあ、きみはここの住人かい?」
「来ては駄目! ダークエルフが……」
「くそっ! 先を越されたか!」
 告げた途端、顔色を変えて、下げていた武器を構えて人間たちが村に入っていく。
「何だこれは!?」
「ダークエルフがやったのか!」
 累々と横たわる村びとの屍を見つけた人間たちが、足を止めた。
「他に生存者は?」
 問われて、首を横に振る。
 この人たちからは、強靱な生命力を感じる。多分、あの妖魔たちよりも、強い。
 彼らの目的は何なのかしら。救援や討伐にしては早過ぎるし、第一、この村からそんな情報が届く訳がない。
「いたぞ! ダークエルフだ!」
 人間の声に、我に返って顔を上げた。
 小屋を蹂躙していた妖魔が、人間を牽制するように外に出てきた。
「おい! 人間だ!」
 ダークエルフの言葉に、それぞれに何かを探していた仲間たちが集い、人間を取り囲んだ。
「ミーア様、まさか貴女の手引きではありますまいな?」
 違う! そんな事より、あなたたちの勝てる相手じゃないわ!
 叫ぼうとしたけれど、それより先に人間のひとりが、その妖魔に斬り掛かっていた。
 白い雪に紅い飛沫が散り、その中に崩れ落ちた妖魔は、すでに事切れていた。
「罪もない人たちに酷い事しやがって! 許さねえぞ!」
 妖魔の血でぬめる刃を振り上げた人間が吠えた。
 人間は、妖魔の繰り出す魔法をものともせず、やすやすと黒い皮膚を切り裂いた。妖魔たちも、犠牲を顧みることなく果敢に応戦する。
 形容はまったく異なるのに、鏡に映ったお互いが自分自身と戦っているように見えた。
 さっきまでの捕食者は、新手の強者によって獲物となる。生き残った強者もまた、何かの犠牲になる。
 繰り返される世界の掟。彼らの休息は、何処にあるのだろう。
 最後の妖魔が、人間に毒づきながら倒れた。
 人間たちに、さして乱れた様子は見受けられない。
「厄介な所に来ちまったなあ」
「あまり時間が経っていないようね。少ししか、雪が積もっていないわ」
 村びとの骸のひとつを観察している。
「あと一歩早ければ……」
「過ぎてしまった事は致し方ないよ」
 人間たちが立ち上がり、私を見た。
「きみが、唯一の生き残りだな?」
 二度目。きっと彼らも、私を放っておいてはくれない。
「あなたたちは、何をしに来たの?」
 虚ろな気持ちのまま、疑問を口にする。
 また、あの白い壁の内側に押し込められるのだろうか。
「俺たちは、この村に伝わる品物を探しに来たんだ」
「遺跡の鍵?」
「それだよ。どこにあるか知ってるかい?」
「……分からないわ」
 だから、もう帰ってよ。
「そうか。仕方がないな。俺たちで探すか」
 この期に及んで、まだこの村を踏み荒らそうというの?
「本当に、そんなものが、この村にあるの?」
「そう聞いて、俺たちもわざわざここまで来たんだぜ? さっきのダークエルフも同じ情報を掴んでたんなら、真実味はあるさ」
「……帰ってよ」
「そう言われてもなあ」
 気まずそうに頬を掻く。
 どうせ、諦めるつもりなんてないんだわ。
 手を汚してまで欲した物ですものね。あなたたちも、そこの妖魔と同じ。欲しいものを手に入れる為なら、他の命は犠牲にしても構わない。
 咎めはしないわ。神のつくった(ことわり)ですもの。
 腹を満たす為には、獲物を狩らねばならない。相入れぬ種族は、殺し合わなければならない。
「……きみは一体?」
 人間の手が、こちらに伸びてくる。
「触るな! 失せろ!」
 もう、冷静な私じゃなかった。積もり積もった理不尽な感情が、つぎつぎと頭の中で爆発していく。
 咄嗟に数歩引き下がり、片手を高くかざす。何でもいいわ。
(たけ)き異界の王よ! 我が意に従え!」
 精霊の言葉で叫ぶ。
「我でよければ力を貸そう。ミーア殿」
 すぐに応えがあった。
「フェンリルか。久しいな」
 空間が歪み、氷の牙を剥き出した、人間の身長の倍はある巨大な狼が、吹雪を纏って姿を現わした。
「全てを止めろ。血の一滴も残すな」
 命じた声は笑っていた。私が命ずれば、おまえたちは死ぬ。これが、強き者が支配するこの世界の掟だ。身をもって知るがいい!
「承知!」
 氷雪の魔狼は低く唸ると、空を蹴って人間たちに襲いかかった。
 氷の王に牙を立てられた人間は、あっという間に霜の塊と化した。
 動揺のあまりか、動けなくなってしまった人間たちを、氷獣が次々と仕留めていく。
 巨大な霜柱をいくつも残し、魔狼は己の世界へと戻っていった。
「少し頭を冷やせばいいわ」
 静寂が返ってくる。
 私を恨むか? 不条理だと、憤るか?
 踏みにじられることは、生きているとは言えない。踏みにじる側に全てを握られているのだから。



 氷の塊の前に立ち尽くしたまま、時間が過ぎた。
 いつの間にか雪も止み、惨状をあかあかと照らしていた太陽も地の底に沈んだ。
 氷を粉々に砕いたような幾多の星が哀れむように瞬いている。
 顔を上げ、わずかな明かりの中に浮かぶ景色を見据えた。
 歪んだ光景に背筋が寒くなって目を閉じると、闇が重い泥のように己の内にたまってくる。
 吐き気がした。
 神は、どうして奪い合う世界を創ったんだろう。
 一時かぎりの儚い幸せ。それを目の前にぶら下げられて、人間は足掻き続ける。他の生命を犠牲にしながら。抗えぬものを、踏みにじりながら。
「……兄さんは、馬鹿だわ」
 呟いて瞳を伏せると、目の縁に溜まっていたものが、雫となって頬を伝い落ちた。

 光を求めるものの後ろには、陰ができる。
 陰をつくらぬ為には、どうすればいい?

÷÷ つづく ÷÷
©2003 Haruka Mashiba
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