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§緑陰の柩:第5章§

動かぬ天秤 (1)

著:真柴 悠

 朝だった。
 眠れないと思っていたけれど、身体は休息を求めていたらしい。
 明るい日射しに目を奪われても、心は重いままだった。
 何も食べていないので、身体に力が入らない。
 じっとしている訳にもいかず、浅い窪地の中で身体を起こす。
 いい天気だった。いっそ雨でも降っていれば、動かない口実も出来たのに。
 低い草木をかき分けて、なだらかな斜面を下る。
 ここは一体どこなんだろう。私はどこへ向かおうとしているのかしら。
 一面を草木に囲まれて、前へ進もうという気力も失せる。
 気がゆるんだ拍子に、斜面に足を滑らせてしまった。
 朝露に濡れた低い草は滑りやすく、気付いた時には身体のバランスを崩していた。
 急な斜面を、木々にぶつかりながら転がり落ちていった。

 一瞬、宙に浮いたのかと思ったけれど、そうじゃなかった。
 幸い平らな場所に辿り着いたようで、自然と身体は回転をやめ、草と落ち葉の上に投げ出された。
 全身を鈍い痛みが覆う。
 身体の無事を確かめるように、ゆっくりと身体を起こした。
「いた……」
 鋭い痛みを感じて、顔の位置まで上げた左腕に、細長く赤い筋ができていた。
 深く傷を負ったようで、あふれた赤いものが幾筋も流れ落ちていく。
 このままでいれば、私は死ぬのかしら。
 全ての血が流れ去った私の身体は朽ち果て、魂は無に還る。
 なんだか、あっけないわね。これまでの苦痛が嘘みたい。
 私に、こんな死に方が許されるのかしら。

「何をしているんだ?」
 突然降ってきた声に、驚いて顔を上げた。
 人間の男が立っていた。
 歳は、兄さんと同じ位かしら。金色の髪が、太陽の光を受けて光っているように見える。
「酷い怪我だ」
 男は投げ出された私の足元に屈むと、傷口に手をかざした。
「癒しの御手よ、主の名において、汝の力、示したまえ」
 傷口が塞がっていく。聖職者かしら。それにしては、随分重装備だけれど。
「これで大丈夫だ」
「自分で治せたのに」
「おいおい、まずは礼を言うのが先だろう?」
「私は頼んでいないわ」
 睨んでやったのに、男は地面に膝を突いたまま笑った。
 端整な顔立ちをしていた。
 お父さんは凄絶な美貌の持ち主で、整い過ぎたそれは背徳的ですらあったけれど、目の前の男は、快活な生気を伴う、人を和ませる力を持った容貌をしていた。
「何がおかしいの?」
「何でもないよ。ごめん」
 屈託のない笑顔に、心が少し軽くなったような気がした。
 底深く漂う水のような、済んだ青い瞳。
 じっと見入っていると、視線に気付いた青年が顔を上げた。視線がぶつかり、慌てて目をそらす。
「一人のようだな」
「あなたには関係ないでしょう?」
 自然に声が柔らかくなる。こんな山奥に突然現れて怪しいと分かっていたのに、自分でも驚くほど警戒が薄かった。
「僕は、依頼で薬草を取りにきた帰りだが、この辺りは強い魔物が多い。危険だ」
「どうせ、その前に血を流して死んでいたわ」
「自分で治せると言ったじゃないか」
「あら、楽に死ねそうだったのよ? 苦しまずに死ねるなら、わざわざ延命する必要はないでしょう?」
「……死ぬつもりだったのか?」
「ただの成り行きよ。足を滑らせて、そこの斜面から落ちてきたの」
「きみは、どうしてそう無謀なんだ」
 呆れた声が返ってくる。
「私が死んでも、誰も悲しまないわ」
 青年の表情がこわばる。何故か息苦しくなって、視線を反らした。
「本気で言っているのか?」
「真実ですもの」
 また、一人で生きていかなくてはならない。誰にも知られず、誰にも悟られずに。
 疲れた溜め息が聞こえた。
「それにしても、女の子が一人で歩くには、場所が不自然すぎる。疑われてもおかしくないのは、きみの方だぞ?」
 問われて、顔を上げた。
「逃げてきたのよ」
「一人で?」
「あの村にいた人は、みんな死んだわ」
 暗い感情に呑まれてしまいそうで、口をつぐむ。
「……そうか」
 重い空気が流れた。
「自分がまともじゃない事ぐらい、分かっているわ。相手にしない方が身の為よ」
 沈黙に耐えられなくなって、できるだけ明るい声で告げた。
 男が眉を上げる。
「僕はこれでも、いろんな所を旅して、いろんなものを見てきた。だが、こんなに不思議な出会いをしたのは初めてだ」
「私が変だから?」
「変なんかじゃないよ。そりゃあ、驚きはしたけど……どこか行くあてはあるのかい?」
 少し苛立った。
「私は質問されても困るのよ。何も持っていないんだから」
「じゃあ、名前は?」
「……ミーア」
 自分でも驚くほど素直に答えていた。
 男に笑顔が戻る。
「僕はセレスト。君さえよければ、せめて山を下りるまで、同行させてもらえないか?」
 このまま一人になってしまえば、心に巣食う闇に囚われて、永遠に動けなくなってしまいそうな気がした。
「……あなたは、どこへ行くの?」
「僕はアリステアから来たんだ。依頼を受けてこちらに来た後、単独で旅を続けている。これからシエル湖に行ってみようと思っていたんだ」
「シエル湖?」
「ここからだと、地図の上なら結構近い。虹色の鱗を持った美しい幻獣が棲んでいると言われているんだ」
「どんな姿なのかしら……」
 私は、なんの苦労もなく育ったし、普通では手に入らないような力も持っている。けれど、この世界のことは殆ど知らない。
 全てを知りたいという気持ちはないけれど、なにか目的があれば、意味もなく山中を放浪する必要もなくなる。
「ねえ、私にも、行けるかしら?」
 気がつくと、告げていた。唐突だったかしら。驚いたような顔をしている。
「行ってみたい?」
「ええ」
 頷くと、青年が微笑んだ。
「ひとまず、山を下りよう。顔色がよくない」
 確かに、あまり話し込める状況じゃないかもしれないわ。
 よく考えれば、こんなにたくさん血を流したことも、今までになかった。
 彼が来るのがもう少し遅ければ、私はもう冷たくなっていた。私の死体を見てどう思ったのかしら。
 そこまで考えて、なぜか背筋が冷たくなった。
「歩けるかどうか、分からないわ」
「担いでいこうか?」
「け、結構よ!」
「じゃあ、ゆっくり休んでから、陽が落ちるまでに山を下りよう」
 セレストは、木陰に横になった私の隣に座って、いろんな話を聞かせてくれた。故郷の事、旅での出来事。どれもが面白くて、新鮮だった。
 思えば、こんなにたくさん人間の言葉を聞いたのは、初めてじゃないかしら。
 話を聞いているうちに、身体の疲れも忘れてしまっていた。
 こんなに無防備に笑ったのも、久々かもしれない。

「そろそろ行こうか」
「話しかけてくるから、全然休めなかったわ」
「面白そうに聞いてたじゃないか。辛くなったら言うんだぞ?」
 セレストの手を借りて立ち上がる。軽い倦怠感は残っていたけれど、歩くのに支障はなさそうだった。
「ここからだと、アルファンだな」
 忘れていた出来事が蘇る。
「他の街じゃ駄目?」
「保存食もかなり減ったしなあ。きみもシエル湖に行くつもりなら、旅装束を整えた方がいい。王都は嫌いなのか?」
「そんな事はないけど……」
「会いたくない人がいるとか」
「……そんなところかしら」
 セレストは、ふと考える仕草をした。
「何かあれば、僕が立ち会うよ。それでいいだろう?」
「そこまで言うのなら、行くわ」
 自棄(やけ)だった。憲兵に追い立てられても知らないわよ。

÷÷ つづく ÷÷
©2003 Haruka Mashiba
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