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§緑陰の柩:第4章§

儚きもの (2)

著:真柴 悠

◇◆◇

 少し早起きをして、お婆さんと一緒に、お爺さんが狩猟に持っていく為のお弁当を作った。
 パンに、肉や野菜をはさむ簡単なものだったから、すぐに出来た。
 作ったお弁当を持って玄関に行くと、お爺さんが、身長より少し低い、細長くて平らな板を二枚運んでいた。
「お爺さん、お弁当が出来たわよ」
「おお〜、すまんな」
「その板、なに?」
 お弁当を渡しながら、きいてみる。
「ん? これはな、足に履いて、雪道を滑り降りる道具じゃ」
 雪道を? その板に乗って?
 首をかしげていると、お爺さんが頷いた。
「おまえさんも、やってみるかね?」
「まず、見せてほしいわ」
 板を使った行動が想像できなくて、かえって興味を引いた。
 お爺さんの後にくっついて、雪の上を歩く。村の中と違って、踏み固められていない新雪は、踏み込むと膝の関節の辺りまで沈んだ。
 下に何が潜んでいるか分からないから、お爺さんのつけた足跡を、ぴったり追っていく。
 木々に遮られて、景色は分からなかったけれど、雪が積もっているのは、村の周辺だけではなさそうだった。
「こんなに広範囲だったなんて……」
 深く積もった雪に足を取られながら、全身を使って前に進む。 慣れない足場に、早くも息が上がりはじめた。
「野菜の畑のある方は、そうでもないんじゃが、こっちの方が、鹿やウサギが多くてな。この板を扱うことが出来るワシ専用の狩猟場なんじゃ」
 木々の間を抜け、視界の開けた場所に出た。
 目の前は、かなりの急斜面。
 もともと雪の降っている場所は、木の密度が低かったけれど、私たちの立った場所から数十メートル真下までは、左右4、5メートルにわたって全く木が生えていなかった。
「ここをな、シャーッと滑り降りるんじゃ」
 かなり回数を重ねているらしく、斜面の雪は踏み固められたようになっていて、他の新雪が積もった場所よりは歩きやすそうだった。この傾斜でなければ。
「まあ、見ておれ」
 板の中央には、獣の皮のようなものが巻いてある。そこに縄で靴を縛りつけ、軽く上体を動かした。
 足を開いて斜面に進むと、両足を揃えて前屈みになった。
 するすると、まっすぐに滑り降りたかと思うと、前方に大きな針葉樹があった。
「危ない!」
 思わず叫んだ。
 けれど、お爺さんは木にぶつかる直前で、軽く方向転換して、優雅ともいえる動きで木の横をすり抜けて行ってしまった。
 ただ雪の表面を体重に任せて落ちているんじゃない。
 あの変な姿勢には、計算し尽くされた技術が集結しているんだわ。
 辺りは静寂に包まれたまま。……何かがおかしい。
「どうやって、戻ってくるの?」
 まさか、いくら何でも、滑り上がってくるなんて不可能よね。
 追いかけて行く訳にもいかないし、その場で待つことにした。
 雪は、お父さんの城があった島でも、降ることがあった。
 雪が積もった日は、早起きして、ゴブリンたちと外で遊んだ。
「懐かしいわね」
 雪の塊を手に取り、球を作る。それを新雪の上に転がして、大きな塊にしていった。
 最初に作った大きな球の上に、それより少し小さめの球を乗せる。
「……バランスが、いまひとつね」
 少し離れて眺め、首をひねる。ひとつ息をつくと、それに背を向けて、新たに作り直すことにした。
 同じ行動の繰り返しが、軽く20回は続いた。
 さすがに少し苛つき始めた頃、斜面の下の方から、雪を踏む足音が聞こえてきた。
 お爺さんは、板を肩に担いで、歩いて雪の斜面を上ってきた。頬がわずかに上気している。
 普通に上ってきてくれてよかったけど、滑り上がってくるのも、ちょっと見てみたかったわね。
「いやぁ〜、やはり上りはきついのう……って、何じゃ、コレは〜!?」
 私が作った大小さまざまな丸い塊を見て、お爺さんは、危うく斜面に仰け反りそうになった。
「こんなに大量の雪ダルマを見たのは初めてじゃ! よく、これだけ作ったのう。顔がないのは無気味じゃが……」
 精霊使いに大切なのは、根気よ。私がダークエルフを凌駕したのは、ひとえにこの粘り強さと負けん気の強さがあったからなのよ。
 やってみせるわ。あの滑りを、私のものにする!
「お爺さん、私にもやらせて」
「おお、やる気じゃのう」
 お爺さんは屈み込んで、私の足に板を取り付けてくれた。
「少しでも危ないと思ったら、すぐ横に倒れるんじゃぞ」
「……注意点は、それだけなの?」
「体で覚えるのが一番じゃ。自然な姿勢を保っておれば、好きな方向に曲がれるようになる」
 取り付けの作業が終わり、うまく動けないでいる私を、お爺さんが斜面に向かわせてくれた。
「さ、これで体重を前に落とせば進むぞ」
 急な斜面を目の前にすると、さすがに少し気が引けた。
 すかさず自分を叱咤する。
(甘えるなミーア! お前は魔王の娘! これしきで怯んでどうする!)
 かっと目を開き、斜面を睨んで、言われた通りに前傾姿勢をとった。
 ぐらりと身体が揺れ、音もなく、板は前に進んだ。
 顔に風が吹き付ける。どんな姿勢をとればよいのか分からずに、変な姿勢のまま固まってしまった。
 体を動かす余裕はないのに、心には妙な空白があった。
 視界の端を通り過ぎていく針葉樹に速さを感じながら、崖のような急斜面を、自然な姿勢には程遠いへっぴり腰のまま突っ込んでいく自分の勇気に感動した。
 そして、前方には、お爺さんが優雅にかわした一本の木。
 好きな方向に……曲がれない。私の体は放たれた矢のように、見事な位まっすぐに、木に迫った。
「いやぁ〜止めてぇぇ!」
 我ながら、無理な注文だとは思ったけれど、叫ばずにはいられなかった。
 金属鎧が岩の上に落ちたような鈍い音を立てて、私の身体は針葉樹に激突した。それとほぼ同時に、針葉樹に降り積もっていた雪が、木の幹に張り付いた私の上に落ちてくる。
 痛いのと冷たいのが入り交じって、よく分からない感情は、すぐに怒りへと変化した。そうなると、痛いのも冷たいのも感じなくなった。
 落ちてきた雪をかき分けて、雪の上に顔を出す。
 斜面の端の方にある針葉樹の間に、お爺さんが駆け下りてくる姿が見えた。
 ぶつかった木に向き直って、高みの枝を睨み上げる。
「貴様……よくも、この私を愚弄したな!」
 怒鳴った私の顔に、枝に残っていた雪の塊が落ちた。
 一旦この場を離れようと思ったけれど、足に履いた木の板が邪魔だった。

 お爺さんが息を切らしながら、私のもとへ駆け寄ってきた。
「怪我はしておらんか?」
「……無事よ」
 怒りがおさまらず、短く答える。
「やはり、いきなりこの斜面は無理じゃったか」
 考えれば、お爺さんも無茶させるわね。
 雪の中から、お爺さんに救出されて、板を外してもらう。服や髪についた雪を払い落として、針葉樹を睨んだ。
「この木を避ける為なら、何だってしてやる。まずは、お爺さんの叡智が必要だわ」
 こんな所で負けては、魔王の娘の名が折れる。敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。どんな相手だって、きちんとお互いの現状をふまえれば、必ず己を御し、相手を潰すことができる。
「……勇ましいのう」
 私の背後に火柱でも立っているみたいに、お爺さんがぽかんと口を開けて、私を見た。



 特訓は、陽が傾き始めるまで続いた。
 変に力が入って、斜めに滑ってしまい、新雪の山に突っ込んだり、滑る途中で転んで、さっきたくさん作った雪の塊みたいな姿になってしまったり、魔王の娘にあるまじき汚点を、お爺さんの目に晒しまくった。
 慣れない姿勢をとり続けたせいで、膝やふくらはぎが痛くなっていた。おまけに全身雪まみれ。
「そろそろ戻らんと、帰れなくなるぞ」
 近くの岩に腰かけて、私の滑りをぼうっと眺めていたお爺さんが、煙管に溜まった灰を落として立ち上がった。
「そうね……今日は、この位にしておいてあげるわ」
 息を切らしながら、ようやく履き慣れた板をお爺さんに返した。
「さて、婆さんに、なんと言い訳しようかの」
 あ、そういえば、狩りが目的だったのよね。お爺さんも、早く言ってくれればよかったのに。
「しかし、おまえさんはなかなか筋がいい」
「そうかしら?」
 手ごたえは、感じられなかったんだけど。
「どうじゃ、ワシの跡を継いでみんか?」
 さすがに、少し驚いた。拾ってきて間もない、どこの誰とも知れぬ娘に、跡を継がせようなんて。
「冗談じゃよ。おまえさんを待つ人が迷惑しよう。いやなに、この板を使いこなせるようになってしまえば、おまえさんを手放すのが惜しくなってしまうでな」
 なぜか、軽い冗談だとは思えなかった。けれど、それ以上、何かを尋ねることも出来なかった。
 行くあてのない私にとって、お爺さんの申し出は、とても有り難いものなのかもしれない。
「……お嫁の貰い手がなくなったら、継いでもいいわ」
 私にそんな未来はない。“魔王の娘”であること以外に道を持たない。
 けれど、もし、そうでなくなったら。私にも、帰る場所が出来るのかもしれない。
 即座に否定しなかったのは、そんな煮え切らない気持ちがあったからだった。

÷÷ つづく ÷÷
©2003 Haruka Mashiba
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