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§緑陰の柩:第2章§

明日なき旅路 (2)

著:真柴 悠

◇◆◇

 ゴブリンの洞窟で、何日かを過ごした。
 私には、行くあてがない。かといって、いつまでもここにいては、彼らの生活を妨げてしまう。
 どうすることも出来ないまま、時間が過ぎていく。
 今朝も、随分と散歩に時間を使い、すっかり通い慣れた池で水浴びを終えて、洞窟に戻った。
「ミーア様、こんなものを拾ったんですが、なにか分かりますか?」
 洞窟に戻るなり、真剣な顔をしたゴブリンが、手に何かを乗せてこちらにやって来た。
 塩や砂糖を入れるような、小さな瓶だった。
「どこで見つけたの?」
「斜面の向こうに、人間の住処があるんですが、そこに行く道に出た時に落ちていました」
 ゴブリンの手から、瓶を取る。
「あ、危険な物かも……」
「大丈夫よ。これは、人間が料理の味付けに使う粉を入れたりする容器だわ」
「そうだったんですか」
 安心したように、胸を撫で下ろす。
「おい、お前が変なこと言うからだぞ。爆発するとか、毒があるとか」
「仕方ねえだろ! そう思ったんだからよ」
 噴き出してしまった。
「じゃあ、爆発するって言えばよかったわね」
「いじめないで下さいよぉ」
 取り囲んでいたゴブリンたちも笑う。
 花瓶として使えたかもしれないけど、こんな場所じゃ意味がないわね。
「置いておけば、なにか役にたつかもしれないわよ」
「無理ですよ、そんな得体のしれないもの」
「さっき、ミーア様が安全だって仰ったじゃないか。まだ心配なのか?」
「当たり前だ! どれだけ怖かったか……」
 身震いしたゴブリンを見て、皆がまた笑った。
「大変だ!」
 突然、その場にいなかったゴブリンが部屋に転がり込んできた。
 様相が、明らかに予期せぬ事態を告げている。
「どうしたんだ?」
 中にいたゴブリンが、のんびりと振り返る。
「に、人間だ! 武装している!」
「何だって!?」
 一瞬にして、洞窟の中の空気が凍り付いた。
 人間? こんな場所に?
「あなたたち、何かしたの?」
「とんでもない! 人間に関わるなんて、オレたちにとっては……」
「いたぞ! こっちだ!」
 叫び声が、せまい空間に幾重にもこだまする。
 人間の声。若い男だ。
 通路の向こうから、松明の明かりが見える。
 ゴブリンたちが、私を背に囲んだ。
 人間たちが、ぞろぞろと部屋に入ってきた。三人。姿も顔つきも、村にいる類の人間じゃない。
「その子を渡してもらおう!」
 先頭の若い男が言い放つ。
「ここはオレたちの家だぞ!」
「人間が何の用だ!?」
 ゴブリンたちも、果敢に言葉を返す。けれど、お互いの言葉は全く違う。多分、通じない。
「おとなしく渡す気はないようだな」
 人間が、溜め息をついた。
「近くに村がありましたし、ゴブリンの存在が脅威となるかもしれません。今のうちに手を打っておく方が賢明かもしれませんよ?」
「でも、契約内容は、その子だけだったじゃない」
 ……私の事? 何を言ってるの?
 どんな言葉を返そうかと悩んでいるうちに、背後で殺気が膨れ上がった。
「帰れ! ここは、お前らの来る場所じゃない!」
 ゴブリンが、人間に牙を剥く。
 それを見た人間たちが、武器を構えた。



 人間の圧倒的な勝利だった。
 さほど時間のたたないうちに、私の前にいたゴブリンたちが、無惨な姿で床を埋めた。
「あ……」
 次は私の番なの?
 顔を上げることが出来ずに、足元に転がるゴブリンを睨む。どうして出て行ったのよ! おとなしくしていれば、助かったかもしれないのに……!
「外傷はなさそうだな。大丈夫か?」
 剣を持った若い男が近付いてくる。
「いや!!」
「うわっ!」
 咄嗟に手をかざすと、それに反応した炎の精霊が、後ろにいる人間が持つ松明から飛び出した。
 私に近付いてきた男は、炎の玉を寸での所で避けた。
 壁面にぶつかった炎の玉が、派手に弾け飛ぶ。
「危ないなあ」
 男が立ち止まって、肩をすくめる。
「よほど怖い目に遭ったんでしょうね」
「僕たちと一緒にここを出ましょう」
 付いていかなければならないらしい。ここにいても、何も残っていないけれど。
 諦めて頷くと、床に落ちたものをなるべく踏まないようにして、人間たちに近付いた。



 山を下りた頃には夕方になり、人間たちは、野営の準備を始めた。
 荷物を下ろして、焚き火を作る。
 差し出された硬そうな肉の塊を断って、近くの木から木の実を取る。
 人間の接し方は、不思議なくらい友好的だった。
 でも、どうしてあんな真似をしたのかは、聞くことが出来なかった。
「精霊魔法を使うんだな」
 肉片をかじっていた男が声をかけてくる。
 あれは、咄嗟に出たものだった。迂闊だったかもしれない。
「ねえ、あなた、名前はなんていうの?」
 答える義務なんてないわ。
 黙ったままでいると、人間たちは顔を見合わせて、またそれぞれの行動に戻った。
 彼らが寝ている隙に逃げようかとも思ったけれど、こんな場所で一人になるのも得策じゃない。
「リナータ、クライブ、そろそろ休もうか。見張りはいつもの順番でいいな?」
「宿が恋しいわ〜。何泊、野営したかしら」
「洞窟の捜索に、随分時間がかかりましたからね」
 喋っていた人間たちは、すぐに眠ってしまった。
 眠ることが出来なくて、じっと座ったままでいると、見張りをしている男が振り返った。
「寝ておかないと、明日がつらいぞ?」
 他の人間を起こさないように、声をひそめる。
 最小限におさえられた焚き火からは、相手の顔は見えない。それが、少しだけ勇気を奮い立たせた。
「……どうして、あんな事をしたの?」
「ゴブリンの事か?」
「……」
「俺たちは、あの洞窟の近くの村の住民から依頼を受けたんだ。ゴブリンが女の子を奴隷として拉致したのを見た、ってな」
 人と妖魔。相容れない存在。
 私がいたから、ゴブリンは殺された。
「違うのか?」
 首を横に振った。
 本当の事を言っても仕方がない。
「私は、どこに行くの?」
「ああ、とりあえずは街に戻るが……住んでいた場所は分かるか?」
「ないわ」
「ない?」
「死んじゃった」
 半分は嘘。でも、生まれ変わるという事は、やっぱり兄さんは死んだことになるのかしら。
「……そうか」
 男が、溜め息をついた。
 だから、放っておけばよかったのよ。“魔王の娘”なんて連れていたって、ろくな事にはならないわ。
「今は休むんだ。街に付けば、少しは気分も楽になるさ」
 男は再び私に背中を向けると、周囲に気を配り始めた。

 妖魔は死んでも星にはなれない。
 彼らは、私を恨むだろうか。
 魔王を救えなかった“魔王の娘”を。
 人間である“魔王の娘”を。



÷÷ つづく ÷÷
©2003 Haruka Mashiba
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