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§緑陰の柩:第2章§

明日なき旅路 (1)

著:真柴 悠

 知らない建物の中にいるような気がした。
 己の息づかいだけが、薄暗い部屋に響く。
 ようやく取り戻せた穏やかな時間。それすらも、奪われた。いびつな世界の平和の為に。
 どんなに探しても、声が枯れるまで呼び続けても、兄さんは、もう何処にもいない。

「兄さん……さよなら」
 月の明かりだけが頼りの中、家を出た。
 どこに行こうか。何をしようか。そんな事はどうでもよかった。はやく、あの暗い家から離れたかった。
 暗闇には慣れていた。でも、肌を刺す夜気と、足を濡らす夜露は知らなかった。
 進めば進むほど、どこを歩いているのか分からなくなる。沈んだ気持ちと寒さが同調したかのように、暗闇が容赦なく心身を苛む。
 あと、どの位で夜が明けるんだろう。私は、どこに行くんだろう。朝など永遠にやって来ないのかもしれない。
 暗闇に押しつぶされてしまいそうで、徐々に足早になる。

 見上げた視界に、たくさんの星が映った。
 辺りは高い木ばかりで、切り取られた空は狭い。
 死んだ人は、星になるという。
 私も、天に昇れば、すべてに分け隔てなく光を注ぐ、小さな星のひとつになれるのだろうか。

 立ち止まって、空を眺めていると、背後の茂みで草をかき分ける音がした。
「!?」
 突然の出来事に立ちすくむ。
「おい、人間だぞ」
「本当だ。女だな」
 会話が耳に届き、弾かれたように振り向いた。ゴブリンの言葉だった。
 三体のゴブリンが、ゆっくりと近付いてくる。



 お父さん、あれはなに?
「おまえの身の回りの世話をする、ゴブリンという種族だ」
 どうして? ミーア、ひとりでできるよ?
「我等には、それぞれに役割というものがある。私がこの椅子に座るのも、おまえが我が“娘”であることも、すべて役割なのだ。あの者たちを拒むならば、おまえは彼らの役割を奪った事になるのだ。分かるか? 娘よ」
 それがなくなると、どうなるの?
「率いるに能わぬ愚かな妖魔となろう」
 それじゃあ、お父さんが困るわ。
「分かればよいのだ。そなたは聡明な娘よ」



「お嬢ちゃん、一人なのかい?」
 独特の響きを持った種族語に、現実に引き戻される。
「下がれっ!」
 気がつくと、恫喝していた。
「我が名はミーア! 魔王の娘ぞ!」
 ゴブリン達の顔色が変わる。
「ミ、ミーア様!?」
 そう、私は“魔王の娘”。もう“勇者の妹”なんか何処にもいないわ。
 立ちすくんだゴブリンに、自分から近付いていく。
 ゴブリン達は、慌てふためきながら、その短い膝を折って私を見上げた。
 恐怖に歪んだ醜悪な顔を、冷たく見下ろす。
 そんな顔しないでよ。さっきまでの自分を見ているみたいじゃない。
「偉大なる魔王の娘。何故、このような場所に?」
 右端のゴブリンが、蚊の鳴くような声で尋ねてくる。
 誰とも話したくなかった。
「分からないわ。いい死に場所があるのなら、連れて行きなさい。ふふ……、“魔王の娘”じゃ、星にはなれないのかしら?」
 簡単な事だわ。何の意味も持たない世界で生きる必要なんて無いのよ。同じ暗闇なら、星になりたい。星になって、兄さんが守った世界を照らしていたい。
 ゴブリンが、困惑した表情でお互いの顔を見ている。
「私に用がないのなら、放っておいて頂戴」
 踵を返すと、ゴブリンが慌てて後を追ってきた。
「ミーア様!」
「せめて朝になるまで、我々の(ねぐら)で休んで下さい」
 足を止める。
「朝……」
 兄さんや、兄さんの仲間と見た、夜の闇を灼くような白い朝日。
 何でもできそうな気持ちになった。その日一日を思って、意味もなく、わくわくした。
 朝になれば、変わるんだろうか。兄さんの残していった“平和な世界”で、私は何かを見つけられるんだろうか。
 再び夜空を仰ぐ。
 誘っていた星たちが、少し遠くなったような気がした。
「案内してくれる?」
「もちろんです!」
 ゴブリン達は嬉々として、私の前後を囲んで歩いた。
 相変わらず足場の悪い山の土を踏む。
 ずいぶん谷を下って、地表に岩が目立つようになった。
「ここです」
 (あかがね)色の指がさした先には、洞窟の入り口があった。
 暗い穴のまわりを鬱蒼とした草が覆い、周囲からその存在をうまく隠していた。
 目をこらしながら、暗闇の中を、岩の壁を伝って歩く。
 洞窟の中は、外とはまた違った冷気を持っている。
 独特の湿気が、肌に張り付くようで息苦しい。
 通路は狭く感じたけれど、住人にとっては、そうでもないのだろう。
 いくつかの通路に分かれた場所を過ぎると、少し広くなった場所にたどり着いた。
「他の者は寝ているの?」
「はい。とは言っても、二人ほどしかいませんが」
 ゴブリンは、子を生む存在である雌が優位にある。
 通常は、ひとつの住処(すみか)に一体の雌がいて、彼女に従う形で、たくさんの雄が棲んでいる。
 実際に見た事はないけれど、私の身の回りの世話をするゴブリンから聞いたことがあった。
「主は?」
「我々は独立して住処を広げようと思っているんです。そのうち雌を探して、ここに住んでもらうつもりですよ」
「そう」
 息が白い。じっとしていると、外よりは温かい。
 借りた毛布は、あまり清潔そうではなかったけれど、このさい贅沢は言っていられない。
「近くに、川か泉はあるかしら?」
「ええと、少し下った所に池がありますが……」
「朝一番に、そこに案内して。今日はもう休ませてもらうわ」
 適当な岩を選んで座った途端、溜まっていた疲労が一気に押し迫ってきた。
 洞窟の湿気も、彼ら特有の臭いも、睡魔を妨げることはなかった。

「ミーア様! 起きて下さい!」
 ずっと以前にも、同じように、同じ言葉で起こされていた。でも今は、ふかふかのベッドも日射しを遮るカーテンもない。
「おはようございます」
 朝なんだろうけど、洞窟の中は暗いまま。
 固い岩の上で眠ったせいで、体の節々が痛い。なんとか体を起こして、毛布を剥いだ。
「お食事は、どうなさいますか?」
 彼らの食生活は知っている。できれば、同じようなものは食べたくない。
「動けるようなら、自分で集めてくるわ。その前に、池に行きたいんだけど」
「我々も、食料を調達しに出ます」
 狩りの準備を始めた彼らの横を通って、洞窟の出口に向かった。
 外に近付くにつれて、光の面が広がっていく。
 掌で目を庇いながら、外に出る。闇に慣れた目には、朝の光は強すぎた。
 山の中に太陽が昇ってくるにはまだ少し早いけれど、澄み渡った空は、どこまでも明るい。
 眩しさを堪えて、大きく背伸びをする。
 新鮮な空気が体を満たしていく。
 たくさん吸い込んで、暗い気持ちを少しでも軽くしたかった。

 もやに包まれた木々の間を進む。
 朝露に足を取られそうになりながら、低い頭を追う。
「随分、足場が悪いのね」
 落ち葉に覆われた土は、所々ぬかるんでいた。
「三日ほど前に降った雨のせいですよ」
「三日も前なのに?」
「日当たりの悪い場所ですから。迂回することも出来ますが、こっちの方がキノコがたくさん採れるんですよ」
 なるほど、むき出しの岩肌を、苔が錆のように覆っている。
 後ろにいたゴブリンたちが、木の根元や急斜面に近付いては何かを採っている。
「あ、見えてきましたよ」
 前方が、開けた場所になっている。池のほとりにたどり着いた。
 それほど大きくない池だったけれど、細い川が通っていて、水面は綺麗だった。
「じゃあ、我々は狩りをしてきます」
「私はここにいるわ」
 手を伸ばして、透き通った水に指先を浸すと、空を写し取った青い波紋が広がっていった。
 冷たい水で顔を洗う。
 身体中の神経が、一気に研ぎ澄まされた。今朝までの、全てに布を被せたような鈍い感触が消える。
 息が苦しくなるまで水の冷たさを味わって、顔を上げる。
 水をきっていると、一羽の白い鳥が、水を飲むために対岸に降りてきた。
 黄色いくちばしで一心に水をつついている姿に、笑みが浮かぶ。
 動くのを止めて鳥を眺めていると、風を裂く鋭い音が聞こえた。
 何が起こったのかを理解する前に、水を飲んでいた鳥が翼を乱しながら暴れ始めた。
 慌ただしい羽音と共に、小さな羽毛が散る。
 白い体が、徐々に赤く染まっていく。
「やった! ミーア様! ごちそうですよ!」
 近くの木の陰から、弓を持ったゴブリンが顔を出す。醜い顔をほころばせながら、息絶えた鳥の首を掴んで拾い上げた。
「このまま食べるのは無理ですよね。オレたち、火なんか使った事ないんですが……」
「いらないわ」
 顔を背けて立ち上がる。
 手を突いた木の根元に、たくさんキノコが生えていたけれど、今は何も口に入れる気がしなかった。
 太陽が見たくなった。
 陽が昇ってくる方角の斜面は、それほど高くない。
 ゴブリンに背を向けると、斜面に向かって歩いた。
「少し散歩してくるわ。遠くには行かないから」
 斜面を登ってしまうと、反対側は緩やかな谷になっていた。大きな波のうねりのような山の稜線が広く見渡せる。
 太陽が見えた。
 薄い雲のヴェールを纏い、柔らかな日射しを山の斜面に投げかけている。
 ひとつ深呼吸をすると、太陽が照らす斜面に足を踏み入れた。
 太陽の光は、木々に遮られて地面には届かない。繁った葉の隙き間から、小さく洩れて射す。
 葉をいっぱいに広げて陽光を受け止めようとする木は、その下にできる陰のことなど考える必要はない。

 光を求めるものの後ろには、陰ができる。

 考え込みながら歩いているうちに、人間の集落を見つけてしまった。
 私がいた村と、さほど変わらないような、小さな村だった。
 あちこちの煙突から、細い煙が立ちのぼっている。朝の仕事を終えて、食事の準備でもしているのだろう。
 時折、間延びした家畜の鳴き声が上がる。

 本当は、嫌だった。
 森を拓いて、わざわざそこに家を建てて住む人間が、好きではなかった。
 胸を裂かれた大地の声は、人間には届かないのだろうか。
「当然よね。生きていく為には、犠牲が必要なんですもの」
 白い煙を一瞥して、来た道を戻る。
 登ってきた頂きを過ぎると、途端に足元が不安定になる。
 陰には、そこにしか棲めぬ生き物が集う。彼らは、本当に光が不要なのだろうか。
 たとえ棲める環境でなかったとしても、物言わぬ小さな身体に、光をいっぱいに浴びてみたいのではないのだろうか。
 こんな時にでも、空腹を伝えてくる身体が恨めしい。
 仕方なく、近くに生えていたキノコに手を伸ばした。



÷÷ つづく ÷÷
©2002 Haruka Mashiba
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