≪REV / EXIT / FWD≫

§緑陰の柩:最終章§

魔王の娘

著:真柴 悠

 砂塵が舞い、背を借りている漆黒の馬のたてがみが広がる。
 視界の限りに続く平坦な荒野は、ところどころに小さな緑が点在するのみで、生命の潤沢さは伺えない。
 風に混じるのは、乾いた土埃の匂い。
 陽光を遮る雲もない。
 ここが“魔王の娘”の新たな出発点となる。
 次々と出くわす細事に一喜一憂していた人間の娘は、もういない。いや、死んでしまったと言うべきか。

 瞳を伏せて感傷に浸る。こうして過去を振り返る時間もないであろう、多忙な日々が待っているのだ。
 馬の近付いてくる気配に、瞳を開く。
 規則正しい馬蹄の音は、やがてすぐ後ろで止まった。
 漆黒の駒の手綱を繰って振り返る。
 黒い肌に銀髪を持った妖魔が、馬上で優雅に頭を垂れた。
「ミーア様、ご命令どおり、可能な限りの同族を集めてまいりました」
「苦労をかけるな」
「何を仰います。陛下が御隠れになってから、我が力は有り余っております故、存分にお使い下さい」

 深い闇に心をえぐられたあの日から、すでに五年の歳月が経っていた。

「皆、心待ちに致しております」
 聞こえる。主を失った妖魔たちの声が。
「しかし、よいのか? 私は全てを滅ぼそうとしているのだぞ?」
「我らは陛下と共に長き戦に耐えてまいりました。陛下を失った今、この世界に留まる理由はございません」
「時を持たぬそなたらの事だ。待てば、いつか世界を治める日が来るやもしれぬ」
「手に入らぬと分かっているものを、いつまでも追い続けるほど、我らは愚かではありません」
 強い風が髪を薙ぐ。
「人間も、分かってくれるだろうか?」
「多くは目の前の平和に食い付きたがるままでしょうが……」
「それも、我らが事を為すまでの悪夢だな」
 かたわらに控える妖魔は、父の側近だった者。
 絶望を抱いたまま放浪を続けていた私は、父に所縁のある地で、彼と再会を果たした。
「そなた、幼き頃の私を覚えているか?」
「はい。我らにとっては昨日の事のようです」
 父の仕事が忙しくなってからは、あまり顔を見る事もなかった。
「あの頃、おまえは近寄り難くて怖い存在だった。こうして再びまみえると、不思議な気分だ」
「私も、貴女がこれほど御立派に成長なさってお戻りになられるとは、予想だにしておりませんでした。勇者との最終決戦の折、遠く離れた陣営の指揮を任せられていた事を呪わしいとも思いましたが……これも、陛下のお導きかもしれません」
 人間の女として生きる道は、永遠に閉ざされた。
 あるいは、最初から無理だったのかもしれない。
 これは、父の遺志だ。人間として生きることも、死を享受する事も、父は許さなかったのだ。
「リュティエ」
「はい」
「もし、我が事が成されなかった時は、そなたらは生きよ。そして、父王の真の望みを果たすのだ」
 妖魔の全てを背負うには、私の肩では重すぎる。永き時を生きる彼らには、私に見えない未来がある。
「分かりました」
 長い沈黙の後、側近が厳かに告げた。
「それにしても――」
 暗い空気を取り払うように、美影が空を仰ぐ。
「人間とは、不可解な生き物です」
 呆れたような側近の呟きに、乾いた笑いが込み上げてきた。
 烏兎の歳月を生きた彼らにも、分からない。
「当然だろう」
「何故ですか?」
「同じ人間である私でも、分からぬのだ。己の行動ですら不可解な時がある」
 側近は、見事に眉根を寄せた。
 思いきり笑ってやる。
「理解できません」
「人は変わる。きっかけがあれば、幾らでもな」
「貴女の力でお示し下さい」
「気付かせてやる。歪んだ世界の有り様を。そんな場所で、他を犠牲にしてまで生き長らえようとする命の愚かさを」
「我ら陛下を崇める者、全てはミーア様の御心に従うものと決意しております」
「ありがとう」
 漆黒の馬に軽く鞭を入れる。
 演台として選ばれた崖の下に、気が遠くなりそうな数の妖魔たちが集結していた。
 ざわめく群集から、ひときわ大きな声が上がる。
 喚声はやがて、一つの波に変化していった。
「魔王の娘に栄光あれ」
「再び我ら、一つとなろう」
 言葉は幾度も繰り返され、次第に大きく鮮明になっていく。

 同じ光景を、見た事がある。もっと豪華な城のテラス。今の私の立つ場所には父王がいた。
 風の精霊の力を借りて、どこまでも響きわたる声音に、その内容は分からずとも、ひどく興奮したことを覚えている。
 私に、出来るだろうか。 種族の異なる者たちを率い、ひとつの目的を成就させることが。
 瞳を伏せ、父王の姿をたどる。
 右手をかざすと、ざわめきが一瞬にして静まり返った。
 ゆっくりと開いた瞳にうつったのは、陶酔を浮かべた妖魔たちの姿。
 彼らは、待っている。
 己等を突き動かす言葉を。魂を鼓舞する声を。

 最初の言葉を告げるべく、深く息を吸い込んだ。



÷÷ Fin ÷÷
©2004 Haruka Mashiba
▼ もしよろしければ、ご感想をお聞かせください ▼
お名前
ひと言ありましたら
 
≪REV / EXIT / FWD≫