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§緑陰の柩:第3章§

精霊使い (2)

著:真柴 悠

◇◆◇

 丸い月が、茫洋とした暗闇に浮かんでいる。
 街道が月明かりを帯びて、むき出しの土が青白く照らされている。
 広い道は、行くあてのない私を嘲笑うように、どこまでも続いていた。
 霧を含んだ冷たい夜気は、兄さんと別れ、あの村を出た時のことを思い起こさせる。
 浮かんだ情景を振り払うように、重い心を引きずりながら歩き続けた。

 どの位、進んだだろう。少し休憩しようかと立ち止まって、空を仰いだ。
 月が出ているせいで、星の輝きが弱く感じられる。
 今にも消えてしまいそうな星の瞬きを、じっと眺めた。
「……?」
 静かな夜に相応しくない生き物の気配が、街とは反対側の街道から届く。
 松明の明かりと馬蹄の音が近付いてくる。
 人間だわ。見つかったら、また街へ連れ戻されてしまうのかしら。
 迂闊だった。私が動くより先に、あちらが私に気付いた。
「女だ」
「こんな夜更けに何してるんだ?」
 駒の速度を落とし、私の前で止まる。
 旅人にしては軽装で、皆同じような格好をしている。それに、雰囲気が、私を街へ連れて行った人間たちとは全く違った。
 月光でも分かる浅黒い肌に、無造作に伸びた髭。清潔でなさそうな汚れた服をだらしなく着ている。
 馬に跨がった男たちが、周囲を取り囲んだ。
 すぐに攻撃してくる風でもなく、じろじろと不躾な視線をこちらに向けてくる。
 生け捕るつもりのようだけど、今度はそう簡単には捕まってやらないわ。
 全部で六騎。分散している上に数が多い。これじゃあ、あまり効率がいいとは言えないわね。
「なかなかのタマじゃねえか。高く売れそうだなぁ」
 予想に反して、間延びした声が降ってきた。
「こんな時間に一人で、怪しくねえか?」
「街のモンでもなさそうだ。おおかた仲間とはぐれたんだろうよ」
「可哀想に。怯えてるじゃないか」
「お前の顔が怖いからだろう」
「何!? もういっぺん言ってみやがれ!」
 汚らしい男たちから、下卑た笑い声がわき起こる。
「わざわざ夜明けを待つ手間が省けたな」
「そのつもりなら、お頭に差し出さなきゃならなくなるぞ?」
「俺としては、内々にしておきたいねえ」
 男たちが、何かを相談し始める。
 人を止めておいて、なんて無礼な奴らなのかしら。
「私に用があるなら、さっさと言いなさい!」
 正面の男を睨むと、男たちは水をうったように静かになった。
「嬢ちゃん、口の聞き方を知らねえようだな」
 左にいた男が、一歩、駒を進めてくる。負けじと睨み返し、右手を掲げた。
「決められぬのなら選べ! かかってくるか、さもなくば、今すぐ立ち去れ!」
 どうしていつも、一人になれないのかしら。こんな事なら、街道なんて歩かずに山に入った方がよかったわ。
 左側にいた男が、正面の男を見る。どうやら彼がリーダーのようね。
 男は口を歪めて笑った。
「気に入ったよ、嬢ちゃん。あんたの相手は、オレたちじゃねえ。お頭だ」
 男が、私の背後をちらりと伺う。
「!?」
 突然、背後から首を絞められた。
 抗う手も、壮年の男のそれにはかなわず、意識が途切れた。



 規則的な、けれど、あまり心地よいとは言えない振動が、徐々に意識を現実に引き戻していく。
 不自然な姿勢だった。後ろ手に手首を縛られ、手入れのされていない、ざらついた馬のたてがみに顔を伏せている。両足首をまとめて縛られている為、馬の腹の片方に足を流し、上肢をひねった格好だった。
「う……」
 喉が素直に空気を吸ってくれず、軽く咳き込んだ。首を絞められたんだったわ。
 ふつふつと怒りが込み上げてくる。
「嬢ちゃん、案外タフだな」
 すぐ背後で男の声がした。リーダーの声だ。
 手が使えないので、うまく身体のバランスが取れず、額を馬のたてがみに擦り付けたまま、身体をずらして背後を睨んだ。
「私を、どうするつもり?」
「オレたちのアジトにご案内するのさ」
 男が肩をすくめた。
 冗談じゃないわ。私が諾々と従うとでも思っているの?
 睨んだ先に、立ち並ぶ木々が見えた。月明かりの中に浮かぶ樹影は青みを帯びて、遠近感が掴めない。
 湿った落ち葉を踏みしだく馬蹄の音だけが、どこまでもついて来る。
 手は使えない。詠唱も怪しまれる。
(どうしよう……)
 記憶の糸を手繰り寄せてみる。
 お父さんは、どちらも使わずに精霊を呼んだ事があった。

 ――思念が強ければ、懇意にしている精霊であれば応えよう。

 手続きもなく突然現れた精霊の王に驚く私に、お父さんはそう教えてくれた。
 私にも、出来るかしら。
 不安が頭をかすめる。それを振り払うように、きつく目を閉じた。
 出来ぬとあっては、魔王の娘の名折れ。これも、与えられた機会だわ。私を捕らえたことを後悔しなさい。
(寛容なる森の主よ。我が声、届くか)
 少しの沈黙の後、自分のものではない意志が流れ込んできた。わき水のように浸入してきたかと思えば、一気に濁流となって渦を巻いた。なんとか己を保ちながら、同調を試みる。
(これはクラリオンの(めぐ)()ではないか。久しいのう)
 心得を持たぬ者なら、完全に意識を呑み込まれてしまうであろう、圧倒的な精霊の力だった。
(不調法な頼み方だが、力を貸して頂きたい)
 ちゃんと声になっているかしら。
(構わぬぞ。あまり大それたことは御免被るがのう)
 私がおとなしくしていると思っているのだろう。背後の男は、べつに何も仕掛けてこない。
「うわっ!」
 後方で、男が叫んだ。直後に鈍い音を立てて、馬の背から落ちる。
「おいおい、何やってんだ」
「くそっ! 取れねえ!」
 転げ落ちた男の様子が尋常でなかったのか、一行は歩みを止めた。
「蔦だ! 蔦が首を絞めるんだ! 助けてくれ!」
「蔦ぁ?」
「幻覚でも見えてるんじゃねえか?」
 松明を持っていた男が、地面に落ちた男を照らした。
 高枝から垂れ下がる蔦が、意志ある生命のように蠢いている。
「何だこりゃあ!?」
「化け物め!」
 側にいた一人が、短剣を抜いて蔦に斬り掛かる。
「何っ!?」
 別方向から伸びてきた少し太めの蔦が、短剣を振り上げた男の胴を締め上げた。
「くそっ! ものすごい力だ!」
 他の男たちは、怖れを為したのか動きを止めた。
(殺してはならぬ。できるだけ時間を稼ぐのだ)
(ほう。うぬも随分と趣向を変えたのう。親父殿の影響か?)
(冗談はよして。失敗は許されないのよ)
「どういう事だ?」
 私の背後にいる男が、剣の柄に手をかけた。
「動くな」
 こんな姿勢じゃ迫力がないから、精一杯に凄みをきかせる。
 男は私の言う通りに、手を止めた。
「次に動いた者の(わた)を頂くぞ!」
「……あんたの仕業か」
 男の目が、初めて驚愕に見開かれた。
 周りの男たちにも声は届いたようで、たちどころに悲鳴を上げる。
「た、助けてくれぇ!」
「動くな!」
 背後の男が仲間を叱咤した。
 静かになったところで、短剣を取り出して、私の手と足を縛っていた縄を切る。
 痺れた手を二、三度軽く握ってから、身体を起こした。
「あなたの為に用意した蔦には毒があるそうだわ」
 馬の背から飛び下りる。
「約束は守ってもらうぞ」
「そうね。でも、私だけが気絶したなんて、割が合わないと思わない? とっても苦しかったのよ」
「どうすればいいんだ。街まで戻るのか?」
「私は自分のしたいようにするわ。あなたたちとは、ここで別れたいんだけど」
「ああ、そうしてくれ」
 男が溜め息をつく。
「森の王、ありがとう。もういいわ」
 精霊の言葉で告げると、後方で蔦に拘束されていた男たちが地面に投げ出された。
 自由になった意志で、今度は光の精霊を呼ぶ。
 松明のものとは明らかに異なる白い光の出現に、男たちが息を飲む。
「一体、どうなってるんだ?」
「あなたたちとは、お友達の種類が違うのよ」
「……みたいだな」
「じゃあ、さようなら」
 進行方向には、彼らの住処(すみか)がある筈だから、来た道を戻ることにした。
 精霊の王と交信したせいで、随分と精神を消耗したようだった。思考に霞がかかったように頭が重く、足取りがおぼつかない。
「まったく、散々だったわね」
 適当な場所を探して夜が明けるのを待とう。
 山賊が使っているのだろう、地面の出ている細い道から逸れた斜面に、柔らかそうな草の茂る窪みを見つけて、身体を休める事にした。



÷÷ つづく ÷÷
©2003 Haruka Mashiba
第4章 『儚きもの(1)』 は、近日掲載!
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