物語はレムリア暦519年、世界を震撼させた魔王との激戦『クラリオン大戦』の翌年のオムスク地方(左の地図の赤い地域)、その北西部に位置するカルファン王国を舞台にしています。
カルファン王国は、レムリア暦274年に建国された由緒正しき王国です。王都はレギト。オムスク地方の古い言葉で『虎の王』を意味する、建国王の名前です。
かつては、現在のロットバイル王国領までを支配し、『北方の虎』と呼ばれ、北部に位置する強国として恐れられていました。
しかし、その国力は、470年代に入った頃から翳りを見せはじめ、472年には国王サパロ・セロフ・イーニン・ハオト(437〜480)の実弟ウフタ・マギノ・ハオト(432〜472)が反乱を起こし、自領として治めていたロットバイルを独立させてしまいました。
オレンブルクへ続く街道を押さえられたカルファン王国は、衰退の一途を辿ることになり、ロットバイルの奪回を狙ったオー・ルージュ峠での幾度かの戦争も、単に国力を疲弊させただけに終わりました。
幸い唯一の隣国であるロットバイル王国は、やがて勝手に自壊するであろうカルファン王国の攻略よりも、自らが掲げる『種族浄化』の理念の達成に重きを置いていたため、ロットバイルの侵略を受けることはありませんでした。
また、クラリオン大戦の主な戦場はアリステア地方であったため、レムリア大陸の最果てにあるカルファン王国は、その影響をほとんど受けませんでした。
しかし、カルファン王国の衰えは止まりません。
サパロ・セロフ(サパロ4世)の後を継いだサパロ・ツルファ(サパロ5世)に子がなかなか生まれなかったため、水面下では王位継承争いが行なわれてきました。跡目問題は、512年にようやく国王待望の王子が生まれたため、とりあえずは収まりました。
が、その間に中央の統率力は緩み、それをいいことに、私服を肥やさんとする幾人かの領主は勝手に税率をいじりはじめました。そのうえ、流通路を押さえられて40年来、カルファン国内の物価はじわじわと上昇し続けています。
そんな中で迎えたレムリア暦519年。
物語は、ここから始まります。